HOME - Portraits of the Hakka

2006年から2008年の3年間、僕は中国福建省西南の山間部に点在する福建土楼と、そこに住む客家の人々を撮影した。福建土楼は2008年に世界遺産に登録されたが、僕が通い始めた頃はまだ観光客もまばらで、観光業が産業として村人の生計を支えるほどではなかった。村の多くの働き手は都市部へ出稼ぎに出ており、土楼と呼ばれる巨大な集合住宅には、数組の老夫婦のみが残され、修復される事のない多くの土楼は崩れつつあった。福建土楼に住む客家の人々はいにしえの時代、中原と呼ばれる黄河中流域から戦乱を逃れ辿り着いた豪族の末裔だと言われる。土楼に住む人々の顔の中に、いにしえの漢民族の面影を探せるのではないか。土楼のある客家の村を訪ねるきっかけの一つには、そんな想いがあった。そこに住む人々の顔にはどんなものが刻まれているのかを見てみたかった。

今では中国の山奥でもカメラ付き携帯が普及しているので、写真を撮られる事は当たり前の事になったが、当時は95歳にして初めて写真に撮られたという人もいた(表紙)。僕はまだフィルムカメラのハッセルブラッドを使っており、撮影前に試し撮りをしたポラロイドをプレゼントしていたので、どの村でも歓迎された。撮られたい人が列をなしたり、僕を行商のカメラマンだと勘違いした人からは値段を聞かれたりもした。自給自足の生活を続けて来た彼等の顔には、長年の農作業で陽に焼かれ、地層の様に重なった皺があり、変化の激しい時代を生き抜いて来た自信と、伝統的な生活様式が失われつつあることへの戸惑いが、同時に眼に宿っているように感じた。言葉に出来ない彼等の思いが、強い圧力となってカメラに向かって来るように感じた。

2019年春、10年ぶりに土楼を訪れた。土楼の保存に関しては二極化が進んでいた。政府による補助金や、土楼を出て財を成した資産家による寄付などによって、多くの土楼で修復が進んでいた。世界遺産に指定され多くの観光客が集まる土楼がある一方、修復の指定から外れ、有力な支援者を持たない土楼は更に荒廃が進んでいた。10年前に回った土楼の中には、すでに崩壊した土楼もいくつかあった。村に戻った親族の多くは土楼の周りに近代的な住宅を建て、そこに住み始めたが、老人達の多くは住み慣れた土楼を離れる事はなかった。眼が全く見えないのに一人で土楼に暮らしているお婆さんもいた。長年住んできたので、眼が見えなくても料理まで一人で出来ると言っていた。彼女の親族もまた近くのビルに住んでいた。すでに亡くなってしまった人も多かったが、何人ものお爺さんお婆さんに再会した。裕福になり農作業などをする必要の無くなった彼等の多くは皆、10年前より若返ってみえた。だが、当時感じた湧き出るような生命力は、彼等から消え失せてしまったようだった。10年前に僕が見たものは何だったのだろうか?土楼の土壁に反射した、黄色い光に包まれた魔術的にも感じた世界は、すでに扉を閉じたようであった。

2006年、現地で偶然一人の水墨画家に出会ったことから、僕の土楼の旅は始まった。30年間、福建土楼とそこにある生活を描き続けて来た彼に、色々な村に連れて行ってもらった。彼は僕に何度も言っていた。あと5年もすると、今ここで見られる風景も夢と消えるだろうと。それから10数年が経ち、確かに彼が言っていた通りになったのかもしれない。かつてあった土楼の生活は消え失せてしまったが、土楼を出て経済的に成功を収めた国内外の客家の子孫たちの献金が、客家の象徴とも言える土楼の保存に一役買っている。普段数組の老夫婦しか住人を持たない土楼も、年に一度の春節には多くの親族が集まり、賑わいを見せる。多くの土楼は一族の祭事場として、その役割を移しつつある。千年、数百年とここで暮らした客家たちが中原に想いを馳せ続けてきたように、土楼を出て行った客家の子孫達も、移住した土地で、もう決して住むことのない福建省の山間部にある土楼に想いを馳せる。人は皆、それぞれの心の故郷と共に生きている。

故郷を失うことは、自分を失うことなのだろうか。たとえ住み慣れた住居が朽ち果て、故郷の姿が変わってしまったとしても、決して消え去ることのないものがあることを土楼の旅は教えてくれた。
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